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2018年7月7日土曜日

(少女前線/Girl's frontline)世界観解説: 「火種作戦と第1次南極戦争の終結」

ジェフティ、ノイルの二人はパン屋作戦の後に結局どうなったのかよくわからない。
人体実験に供されて、発見されたときには人間の形をしてなかったとかそういう感じだろうか。

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火種作戦と第1次南極戦争の終結

 「火種作戦」は南極軍によって実施された最後の大規模作戦だ。MIDは潜入させたスパイを通じ、G-179が「熊の洞穴」のコードネームで呼ばれるUURSGの秘密基地に秘匿されていることを確認した。キャンプフィールドは敵を過小評価し、不正確な情報を集めるMIDを非難した。彼は作戦前に大量の業務をこなし、またMIDに代わって特殊作戦コマンドが作戦を指揮することを強く要求した。

 URSGの建設した秘密基地は、実際には遺跡内部にある大型の研究施設だった。UURSGは実験体を使って遺跡を起動させて解析し、その計画の中には実験体の改造も含まれていた。この設備を守るために、UURSGは莫大な資金を投じて完璧な防護システムを構築しており、軍の警備部隊も駐留している。崩壊・逆崩壊技術研究を加速させるため、UURSGは高等研究計画局(ARPA)を再建し、遺構技術の軍事利用と機密保護の指揮系統の確実な1本化を図っていた。

 このような規模の大きい軍事転用構想は当然南極に知られることとなる。 しかし南極側は基地の所在以外の情報を持っておらず、情報のない状態での作戦は大きな危険を伴っていた。しかしMIDへの不信感とG-179を早期に奪還したいという思惑から、キャンプフィールド大佐は「熊の洞穴」への攻撃を主張した。南極の技術的優位を維持するため、彼の作戦は承認された。この火種作戦が開始されたのは2097年11月7日のことである。

 南極軍はまず基地の側面を5キロに渡って遮断し、強力な電子戦を実施して「熊の洞穴」と外界との通信を麻痺させた。主力部隊は「熊の洞穴」に通じる幹線道路沿いに展開し、彼らの前進を遅滞させるために配置されたUURSG側の部隊は航空攻撃によってすぐに撃破された。TASAの部隊は5つに別れ、基地への直接の空挺降下を試みた。しかし輸送機が隠蔽されていた対空陣地によって撃墜され、搭乗していた人員はほぼ全員が死亡した。TASAの兵士1人だけが生存し、基地に通じる秘密の入り口を発見した。彼は2年前、G-179「ジェフティ」と接触した工作員モンドだった。TASAは敵の抵抗を排除し、G-179の原型を発見した。 遺跡内の捜索を行う内に、モンドはUURSGが実験体を大量に複製し、最新型の戦術人形に遺伝子情報を移植しようとしていることを知った。驚くべき事に、G-264「ノイル」も複製と共に見つかった。受け取った命令により、彼は実験体の原型を取り出し、すべての有用な情報を検索する必要があった。しかし外にいたTASAの部隊がモンドと合流しようとしたとき、彼らは遺跡内にいるUURSGの精鋭部隊から攻撃を受けた。 救出部隊が足止めされ、モンドは遺跡内深部へと逃げ込んだ。G-179とG-264の能力は守備隊にとって脅威であり、実験体を傷つけられない守備隊は火力を発揮できず、大きな被害を受ける。UURSGは戦闘中に増援を派遣し、南極の特殊部隊は彼らを止められなかった。航空部隊が長く滞空できないという状況が、モンドは「熊の洞穴」から実験体をできる限り速やかに持ち出さねばならない。一方のUURSGは実験体を守り敵部隊を排除しなかればならない。決定的要因は実験体であった。

 「熊の洞穴」の指揮官は最後のあがきに、アサルトアーティラリーAA-03射撃プラットホームを装備した兵士を送り込んだ。しかしAA-03の重火器は遺跡の二次断熱壁を破壊し、崩壊流体のイオン保護層が無効化されて崩壊液が漏れ始めたUURSGの兵士はELIDに対する遺伝子強化を受けていないので、急速にELIDに感染してUURSGの部隊は壊滅した。粒子流体の漏出は遺跡内の温度を急上昇させており、高密度の粒子が反応すれば、第1次ベイラン島事件の再現となりかねない事態となった。これによって南極とUURSGの関係者は驚くほど迅速に合意に達した。UURSGには即時に基地を破壊できる非核兵器が無いため、南極軍のNB-90からXK-プルートIII空対地長距離弾道ミサイルが発射された。UURSGは現地の部隊へ撤退を命じた。それまでの発射と異なり、ミサイルには弾頭は搭載されていない。代わりにエンジン内に溶融プルトニウムが充填され、崩壊流体を全て蒸発させて2度めの大爆発を防ぐ計画だった。崩壊粒子による通信障害で、「熊の洞穴」周辺のTASA部隊は撤退命令を受け取ることができず、モンドはELIDに感染したUURSGの兵士を倒しつつ遺跡から脱出しようとしていた。キャンプフィールドも残りの味方を助けようとしていたが、UURSGの部隊は最後の努力としてそれを防いでいた。キャンプフィールド大佐、G-179「ジェフティ」、モンド、G-264「ノイル」、そして作戦に参加したTASAの人員がこの戦闘で失われた。基地は地表から深さ70mまでが完全に融解しており、彼らがどうなったのかはわからなかった。

 この戦いは両陣営に大きな損失を与えた。 UURSGは最重要の研究拠点を失い、この遺跡を永久に封印しなければならなくなった。南極も大量の兵士と航空機を失い、精鋭であるTASAが重大な損失を被ったことは南極軍にとって受け入れがたい事実だった。UURSG政府は南極の能力の脅威を確信し、短期間で遺跡の研究を再開できないことに加えて、南極による封鎖を破ることができない事で崩壊した[22]。その後UURSG中央政府は、2か月後に和平交渉をシンガポールで開始した。結果としてUURSGは、南極加盟国の正当な立場を認め、南極はUURSGに対する封鎖と地域への攻撃を解除した。両者の軍事的敵対は終結、世界は平穏を取り戻し、両者は国力の回復に努めた。この偽りの平和は18年後、2112年に第2次南極戦争が始まるまで続く事になる。

おまけ

「面包房少女」はリメイクの計画があるらしい。

その他

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