2018年6月21日木曜日

(少女前線/Girl's frontline)世界観解説: 「10年の蜜月関係、南極連合の創設と第1次南極戦争」(1)

長いので2回に分ける。
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10年の蜜月関係、南極連合の創設と第1次南極戦争

UURSGの誕生後、基礎物理学の発展と遺構技術研究の再開と共に、経済復興は軌道に乗り始めた。UURSGと南極は交流を再開し外交関係が構築された。双方が驚いたことに、それぞれの世界は50年で劇的に変わった。人道的見地を他所に、 南極は周辺の都市のインフラ整備を支援し、彼らの技術力を大規模に投入した。これが10年に渡るUURSGと南極の蜜月関係の始まりである。

 南極の周辺都市への投資が強化されるに連れて、その近隣諸国は内陸国では見られないような繁栄を見せた。逆崩壊減衰要塞[14]は崩壊粒子雲が存在する地域を人間の制御下に戻し、人類が直面していた状況は逆転した。しかし、思想の相違[15]と南極の強大な技術力は、内陸国の状況が厳しさを増したことによる南極への不信によってUURSG内部に南極脅威論を発生させた。

 南極に対する反対は文化的側面から始まった。生活条件の極端な違いによって両者の意識には深い溝が生じ、市民達の間の敵意は、南極への強行な対応を求める声と共に大きくなっていた。2078年、南極周辺のいくつかの国は南極寄りの立場の表明とUURSGからの脱退を宣言し、南極連合が結成された。これによってUURSGの南極への態度は根本的に変わり、南極脅威論は主要な課題となった。

 あくまで平和的な対応として、南極は技術と人員を南極連合に加盟していない周辺諸国から撤収させた。しかし 投資と相互貿易の大幅な減少は、UURSGにとって南極が自国への敵意を抱いたと認識させ、UURSGでの南極規制法の制定[16]につながった。南極政府は抗議として、全ての邦人を南極へ呼び戻した。UURSGはこれを非常に愚かであると重要視しなかった。

 南極周辺に居住していた南極の若者達が、居住区を封鎖していた警官に石を投げ、警官は彼らに対して発砲した。この事件は都市部の南極市民による暴動を引き起こし、地元の過激派との大規模な武力衝突へと発展した。UURSGは暴動を鎮圧するために大規模な派兵を行い、南極市民を大量に逮捕した。これに対し、南極は武力介入を決定した。

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